2008年07月08日
貴重な体験談。
真面目な話もします。
先日の実家直送便の中に入っていた新聞に
貴重な記事が載っていたので、
勝手に掲載します。
沖縄タイムス 2008年(平成20年) 6月19日 木曜日
27面 社会面 掲載
沖縄戦「集団自決」 「死なない」中尉に懇願
宮平 千代枝さん(75) =座間味村座間味=
「今でも その中尉さんの顔と名前は、はっきり覚えている」
一九四五年三月二十三日。
座間味島の宮平千代枝さん=当時(13)=は
米軍の空襲を避け、家族とともに壕を転々としていた。
当時五人だった家族は逃げる間に離れ離れとなり
祖母のヨシさん、弟、千代枝さんの三人に。
二十六日夜、三ヵ所目に逃げ込んだのが
日本軍の本部壕だった。
しかしこの壕から山中にある整備中隊の
壕への移動を日本軍が決めた夜、
壕で唯一の民間人だった家族に中尉は言った。
「われわれは今晩一時に壕を出る。
自分が手榴弾のピンを抜くから、おばさんの家族は、
ここで固まって、玉砕したほうがいいんじゃないか」
祖母はうまく手榴弾を扱えないだろうから、
家族が輪になってそこに自分が投げ入れよう―と言う。
祖母が千代枝さんの方を向いた。
「千代ちゃん、ちゃーすが(どうする)」
「いいーん(いいえ)、
わんねー、死なんどー(私は死なないよ)」
千代枝さんは拒否した。
「兵隊さんは朝鮮の慰安婦さんを三人
一緒に連れていくのに、
何で私たちは連れていかないの。
あの人たちが歩ける所は、私だって歩ける」
と必死に祖母に伝えた。祖母は
「この子たちはここで死にたくないと言っている。
私は手をかけることはできない」
と中尉に懇願した。中尉はしばらく考えた後、
「次の壕まで先頭に立って道案内をするなら」と同行を許可。
ヨシさんは、列の先頭で道案内を果たし、
幼い姉弟は列の最後尾からついて行った。
九死に一生を得た瞬間。
当時、兵隊の言葉は命令同然だった。
「いざとなったら捕虜となって辱めを受けず、
玉砕すること、と教えられていた」と千代枝さん。
中尉が考えを変えなければ
家族が自決していた可能性は高い。
「祖母は山中の道をよく知っていた。時には木に登って
周りを確認しながら、列を壕に導いた」。
日本軍は危険な道案内に使うために
家族を生かしたのだろう ―と今、考える。
だがその後の道のりも平坦ではなかった。
たどり着いた壕では、すでに多数の住民が自決した後だった。
その後、別のガマへ移動した時には、
何人もの海上挺身隊の亡骸も目にした。
戦争のことは、これまで話さなかった。
「思い出したくないことばかり」と話す。
しかし二人の孫と同居する現在、
「話してみようか」と思い始めている。
「誰かが戦争の本当の姿を伝えないといけないから」
(「慰霊の日」取材班)
※掲載にあたり、改行やスペースを勝手に変更したりしています
でも、この方、「ナイチャー(本土の人)最低!」とか言ってませんよね?
(新聞社の編集とかは抜きにして)
日本軍を責めたいわけではないと思います。
子供の頃から 何人かのお話を聞かせてもらいましたが、
皆さん 誰かを責めているわけではないように思います。
大事なことは、
”戦争をしてはならない”
それだけです。
こんなにも悲しいことが、平然と起きてしまうのが
"戦争”なんです。
人を悪に狂わせるのが”戦争”なんです。
よくよく考えてください。
そして、今の”日本”がしようとしていることを、
よくよく 目を凝らして下さい。
今ある"大事な人の笑顔”は、
決して当たり前ではありません。
”平和”という”当たり前”の上に成り立っているのです。
あなたの大事なことは なんですか?
先日の実家直送便の中に入っていた新聞に
貴重な記事が載っていたので、
勝手に掲載します。
沖縄タイムス 2008年(平成20年) 6月19日 木曜日
27面 社会面 掲載
沖縄戦「集団自決」 「死なない」中尉に懇願
宮平 千代枝さん(75) =座間味村座間味=
「今でも その中尉さんの顔と名前は、はっきり覚えている」
一九四五年三月二十三日。
座間味島の宮平千代枝さん=当時(13)=は
米軍の空襲を避け、家族とともに壕を転々としていた。
当時五人だった家族は逃げる間に離れ離れとなり
祖母のヨシさん、弟、千代枝さんの三人に。
二十六日夜、三ヵ所目に逃げ込んだのが
日本軍の本部壕だった。
しかしこの壕から山中にある整備中隊の
壕への移動を日本軍が決めた夜、
壕で唯一の民間人だった家族に中尉は言った。
「われわれは今晩一時に壕を出る。
自分が手榴弾のピンを抜くから、おばさんの家族は、
ここで固まって、玉砕したほうがいいんじゃないか」
祖母はうまく手榴弾を扱えないだろうから、
家族が輪になってそこに自分が投げ入れよう―と言う。
祖母が千代枝さんの方を向いた。
「千代ちゃん、ちゃーすが(どうする)」
「いいーん(いいえ)、
わんねー、死なんどー(私は死なないよ)」
千代枝さんは拒否した。
「兵隊さんは朝鮮の慰安婦さんを三人
一緒に連れていくのに、
何で私たちは連れていかないの。
あの人たちが歩ける所は、私だって歩ける」
と必死に祖母に伝えた。祖母は
「この子たちはここで死にたくないと言っている。
私は手をかけることはできない」
と中尉に懇願した。中尉はしばらく考えた後、
「次の壕まで先頭に立って道案内をするなら」と同行を許可。
ヨシさんは、列の先頭で道案内を果たし、
幼い姉弟は列の最後尾からついて行った。
九死に一生を得た瞬間。
当時、兵隊の言葉は命令同然だった。
「いざとなったら捕虜となって辱めを受けず、
玉砕すること、と教えられていた」と千代枝さん。
中尉が考えを変えなければ
家族が自決していた可能性は高い。
「祖母は山中の道をよく知っていた。時には木に登って
周りを確認しながら、列を壕に導いた」。
日本軍は危険な道案内に使うために
家族を生かしたのだろう ―と今、考える。
だがその後の道のりも平坦ではなかった。
たどり着いた壕では、すでに多数の住民が自決した後だった。
その後、別のガマへ移動した時には、
何人もの海上挺身隊の亡骸も目にした。
戦争のことは、これまで話さなかった。
「思い出したくないことばかり」と話す。
しかし二人の孫と同居する現在、
「話してみようか」と思い始めている。
「誰かが戦争の本当の姿を伝えないといけないから」
(「慰霊の日」取材班)
※掲載にあたり、改行やスペースを勝手に変更したりしています
でも、この方、「ナイチャー(本土の人)最低!」とか言ってませんよね?
(新聞社の編集とかは抜きにして)
日本軍を責めたいわけではないと思います。
子供の頃から 何人かのお話を聞かせてもらいましたが、
皆さん 誰かを責めているわけではないように思います。
大事なことは、
”戦争をしてはならない”
それだけです。
こんなにも悲しいことが、平然と起きてしまうのが
"戦争”なんです。
人を悪に狂わせるのが”戦争”なんです。
よくよく考えてください。
そして、今の”日本”がしようとしていることを、
よくよく 目を凝らして下さい。
今ある"大事な人の笑顔”は、
決して当たり前ではありません。
”平和”という”当たり前”の上に成り立っているのです。
あなたの大事なことは なんですか?
2008年06月24日
事実。
資料として とても少ないですが、
これだけでも言葉にできなくなりそうな悲しみがあります。
全て 本当にあった話。
”隣に住む おばぁさんが体験したこと”
というくらい身近なことです。
”隣人”なら 他人事ですか?
歴史上のおとぎ話ではありません。
慰霊の日 沖縄タイムス より
これだけでも言葉にできなくなりそうな悲しみがあります。
全て 本当にあった話。
”隣に住む おばぁさんが体験したこと”
というくらい身近なことです。
”隣人”なら 他人事ですか?
歴史上のおとぎ話ではありません。
慰霊の日 沖縄タイムス より
2008年06月23日
沖縄 慰霊の日。
以前、記事にした『慰霊の日』。
今日がその日です。
習わしでは、
正午ちょうどに南に向かい
1分間の黙祷をささげます。
でも、カタチなんて その人その人の自由でいいんです。
ただ、祈って欲しい。
大事な人、未来、命。
その大事なものを奪われて、
自分の命までも奪われなくてはいけなかった 先人たち。
犠牲者の方々です。
私はその犠牲者に、「沖縄人」も「ないちゃー」も「あめりかー」も無いと思う。
全ての死者が、戦争の犠牲。
悲しい歴史。
自分の大事なものため、
自分たちのため、
そこで亡くなられた方々の想いを忘れてはならない。
そして繋いでいかなくては。
祈り、誓ってください。
決して 命は無駄にしません。
戦争は、あってはなりません。
2008年 慰霊の日 平和の詩 琉球新報より
2008年05月26日
沖縄と世界の特別な日。
最近、ムシムシと暑い雨の日が増えてきましたね。
梅雨や夏が近づいているのを感じます。
この時期になると、忘れられない大事な日のことが、頭の中を占め始めます。
6月23日 『慰霊の日』
誰かご存知の方はいらっしゃるんでしょうか。
沖縄ではこの日を前に、学校では平和への学習時間が取られていました。
(私の体験談なので、現在の現場がしているかはわかりません)
自分たちの祖父母くらいの戦争経験者から お話を聞かせていただいたり、
図書室では関連本のコーナーが作られて、それを利用する時間が設けられたり、
関連した映画を見たりした記憶もあります。
その教育を受けられたお陰か、私は この『慰霊の日」や「戦争と平和」について関心をもち、
それらのことを 少しは勉強しました。
今でも忘れられない、忘れてはならない大事な日です。
『沖縄が好き!』
と言ってくれている皆さん、沖縄がこういった日を設けていることはご存知でしょうか。
この日の意味は、誰しも他人事ではありません。
ほんの少し前。昔話や歴史物語のような大昔のことではなく、
自分たちの祖父母や両親たちが経験した時代の、
とても恐ろしい、悲惨なことで犠牲になった方々へ、
「これからは二度と起さない!」と平和を誓う日です。
そう遠くない昔、昨日よりも ちょっとだけ前のこと。
「戦争」という悲惨な、それこそ地獄の世界が広がっていました。
唯一、アメリカ軍に上陸された沖縄。
日本兵から自決を迫られた話は、少しは耳に入っているでしょうか。
私の祖母は、隠れていた壕(洞穴のようなもの)で、
泣き止まない子供を 「敵に見つかるから」 という理由で
目の前で殺されたり、時には 親へ 殺すよう命令していた
というのを何度も見たと言います。
どんな地獄だろうが、我が子を手にかけられる親なんていません。
なので泣く子を抱いて、砲弾の嵐の中へ 壕から追い出されるのです。
これが『戦争』です。
「誰が悪い」というのではなく、こんな地獄の世界があるのです。

考えてください。
この現実離れしたような先日の話を。
私は、自分の命よりも大切な子供や主人を、
この地獄へ送りません。
今 笑っていられる平和が、
大事な息子たちとともに未来へ繋がっていくように、
『平和』とはなにか、『戦争』とはどういうことなのか、
今一度、自分の大事な命のために、
きちんと向き合って考えてください。
梅雨や夏が近づいているのを感じます。
この時期になると、忘れられない大事な日のことが、頭の中を占め始めます。
6月23日 『慰霊の日』
誰かご存知の方はいらっしゃるんでしょうか。
沖縄ではこの日を前に、学校では平和への学習時間が取られていました。
(私の体験談なので、現在の現場がしているかはわかりません)
自分たちの祖父母くらいの戦争経験者から お話を聞かせていただいたり、
図書室では関連本のコーナーが作られて、それを利用する時間が設けられたり、
関連した映画を見たりした記憶もあります。
その教育を受けられたお陰か、私は この『慰霊の日」や「戦争と平和」について関心をもち、
それらのことを 少しは勉強しました。
今でも忘れられない、忘れてはならない大事な日です。
『沖縄が好き!』
と言ってくれている皆さん、沖縄がこういった日を設けていることはご存知でしょうか。
この日の意味は、誰しも他人事ではありません。
ほんの少し前。昔話や歴史物語のような大昔のことではなく、
自分たちの祖父母や両親たちが経験した時代の、
とても恐ろしい、悲惨なことで犠牲になった方々へ、
「これからは二度と起さない!」と平和を誓う日です。
そう遠くない昔、昨日よりも ちょっとだけ前のこと。
「戦争」という悲惨な、それこそ地獄の世界が広がっていました。
唯一、アメリカ軍に上陸された沖縄。
日本兵から自決を迫られた話は、少しは耳に入っているでしょうか。
私の祖母は、隠れていた壕(洞穴のようなもの)で、
泣き止まない子供を 「敵に見つかるから」 という理由で
目の前で殺されたり、時には 親へ 殺すよう命令していた
というのを何度も見たと言います。
どんな地獄だろうが、我が子を手にかけられる親なんていません。
なので泣く子を抱いて、砲弾の嵐の中へ 壕から追い出されるのです。
これが『戦争』です。
「誰が悪い」というのではなく、こんな地獄の世界があるのです。
考えてください。
この現実離れしたような先日の話を。
私は、自分の命よりも大切な子供や主人を、
この地獄へ送りません。
今 笑っていられる平和が、
大事な息子たちとともに未来へ繋がっていくように、
『平和』とはなにか、『戦争』とはどういうことなのか、
今一度、自分の大事な命のために、
きちんと向き合って考えてください。
2008年04月15日
ばぁちゃん。
昨日、沖縄に電話してみたら、ばぁちゃんが転んで骨折したとのこと。かなり心配ですが、大したことないそうで少し安心しました。
たまたま父が休みだったので すぐに病院へ行けたことと、弟たちと一緒に毎日カルシウム剤を飲んでいたのが良かったようで、お医者さんには「年寄りにしては上手な転び方してる。骨折だがマシな方だ。」と言われたようです。
動揺しました。
ばぁちゃんは確かもう82歳で、まだ他人事だと思ってた『転んで骨折する年寄り』なんだと実感させられました。
結婚した当初から、「習わなければな…」と思っている料理が沢山あります。
習って習得したレシピもありますが、"じゅーしー"や"サーターアンダギー"は自分ではまだ作れません。
どこの話題の店よりも、断然ばぁちゃんが作った方が美味しいと思ってます。
先に居なくなってしまうのは逃げようのない現実。
いつまでも甘えてはいられません。
"沖縄"のこと、"家"のこと、"義理人情"、教えてくれた想いを しっかりと受け止め、次世代へ繋げていくことが教わった者の役目だと思います。
居てくれる今だから、習えることは とことん身につけておきたい…。
凄く怖いばぁちゃんだったけど、近頃は 覇気もなくなってきました。
"当たり前にある大事なもの"
忘れずに大切にしなきゃ。
2008年04月14日
ゴーヤー。
沖縄から送られてきたゴーヤーを使って、焼き飯を作ってみました。以前 沖縄に帰ったときに、友人と行った店で食べて美味しかったし、「これなら自分でも作れるやん…」と思って挑戦してみました。
初めてだったので、自分用で。
まぁまぁの出来でしたよ。
ただ、分量が多くなりすぎて、どんぶり2杯分くらいの量になってしまいました…(汗)。
全部自分で食べましたよ。
ヤバい…。
夕飯は抜きです。
2008年04月14日
ケンカと仲直り?
以前 弟を愛知へ送っていったとき、実は両親とケンカしました。「子ども」のことに関して、どうしても納得いかなかったので…。
そのとき、沖縄から出た時のことを思い出しました。
同じような理由で怒って、結果うちを離れたんだった…。
そんな親から、また ふるさと便が送られてきました。
今年初になるゴーヤーやら、いつものポーク、レトルトの汁物、近所の"かねひで"で買われたと思われるサーターアンダギー。美味いんだな、コレが。その他、いろいろ…。
母が孫見たさに折れたと思われます。
電話がかかってきて話をしましたが、お互い謝る言葉も無く、電話を切りました。
母娘は似るもので、お互い意地の張り合い、子供のケンカ状態です。
でも息子のおかげで、たぶん仲直りができました。
親の方が大人になれないものですね。
今朝さっそくゴーヤーチャンプルーを作って、主人の弁当へ入れました。
沖縄のゴーヤーは、やっぱり美味しかったです。
2008年04月01日
笑えてくる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080329-00000013-ryu-oki
すげーなぁ…。
バカにしてんのかな。
それとも本物のバカか?
さすがに笑えてくる。
子どもたちに怪我がなくてよかった…。
すげーなぁ…。
バカにしてんのかな。
それとも本物のバカか?
さすがに笑えてくる。
子どもたちに怪我がなくてよかった…。
2008年03月19日
助かる〜。
弟の衣類と一緒に、いつもの懐かし直送便が届きました。ポークは、やっぱりチューリップ!
もっと入ってたのですが、2/3(? 3分の2)は主人の実家へお裾分け。
あとは、炊いた三枚肉が!!!!
久しぶりに母の味です。
負けてられん。
今夜は、うちの義母直伝の肉じゃがを作って待ちます。
弟は18歳ですが、一人で関空から来れるか、すごいドキドキです。
為にならないから、迎えには行きませんがね。
2008年03月19日
弟。
今日、沖縄から弟が来ます。
高校を卒業して、愛知に就職が決まったので引っ越しです。
最初から一人で全部移動して…というのは心配なので、とりあえず うちに来て、週末に付き添いながら引っ越しをすることになりました。
身内自慢になりますが、とても素直な心の綺麗な子です。
ですが私から見ると、その純粋さに 両親が甘えて、生きていく上で必要な賢さを教えてないように思えます。
とても良い子なので、今まで先生や周りの友達から とても好かれています。
けど、これからは厳しい社会で、一人で生きていかなくてはならないのです。
素直さだけで生きていけるのでしょうか。
「素直な綺麗な心」
とても大事で、かけがえのないものですが、それだけで この厳しい社会でやっていけるのか。
姉の勝手な過剰な心配かもしれません。
でも私自身、沖縄から出てきて、短期間ではありますが働いて、沖縄との違いが どれだけのものか、身を持って感じたつもりです。
沖縄で新生活を始めるのであれば、たとえ急な一人暮らしでも、親が見に行くこともできるし、周りも助けてくれる他人は居るでしょう。
これから住む場所は愛知。
企業や経済が発展している町。
沖縄とは、環境が違いすぎませんか?
いま私が、あーだ、こうだ、言っても、もう決まったことです。
それは分かっています。
そして、そうしなくては生きていけないことも。
「働かざる者、食うべからず」
ですからね。
ただ、今回のことで、沖縄の子たちの厳しい現状を目の当たりにして、いろいろと考えさせられました。
正直、一番最初に思い付くのは、
「ナイチャー(本土の人間)さえ居なければ…」。
これは おばーの影響でしょうね。
経済が観光に頼っていることも、島ぁーの人間よりナイチャーの方が 沖縄を愛してたりすることも分かっています。
ナイチャーだって、アメリカーだって、悪い人ばかりではありません。
むしろ良い人の方が沢山居るし、私は愛する沖縄を捨てて ナイチャーになった人間です。
ただ、毎年1割近く人口が増え、そのほとんどが本土からの移住者です。
沖縄を愛してくれるのは、出身者として とても嬉しいことです。
しかし その中の何人が本当に うちなーんちゅ(沖縄人)になろうと考えてるのでしょう。
好きなだけで、沖縄を自分のことのように考える人は何人いるのでしょう。
あなたの沖縄は、毎年たくさんの若者を転出させ、残った人も破格の給料で かろうじて生活をしています。
隣の町や家では、勝手に戦争で使えるものが広げられています。
それが、あなたの家族や家や土地で起こっているんですよ?
あなたは、どこの人間ですか?
うちなーんちゅは、ぬーそーが。
いったーが、ゆっくい そーんちに、ナイチャーたーは ばんない入ってきて、兄せーたーは 内地んかい んじらんとぅ、仕事やねーなぃんど?
あんしぇ、兄せーたー 勉強さしらんな?
アメリカーたーは基地広げて、ナイチャーぬ役人たーは銭ぶけー考えて、たーが くり止みーしが?
おじー、おばーぶけーな?
むる死んだら、ちゃーすが。
兄せーたーは、うらんど?
ちゃー、「ナイチャーたーは…。ナイチャーたーが…。」あびーあびーだけか?
沖縄出身として、ナイチャーとして、親として、いろんな方向から見て、私が考えることを、想いながら 実践しながら、子育てに交えて生きていきたいと思います。
高校を卒業して、愛知に就職が決まったので引っ越しです。
最初から一人で全部移動して…というのは心配なので、とりあえず うちに来て、週末に付き添いながら引っ越しをすることになりました。
身内自慢になりますが、とても素直な心の綺麗な子です。
ですが私から見ると、その純粋さに 両親が甘えて、生きていく上で必要な賢さを教えてないように思えます。
とても良い子なので、今まで先生や周りの友達から とても好かれています。
けど、これからは厳しい社会で、一人で生きていかなくてはならないのです。
素直さだけで生きていけるのでしょうか。
「素直な綺麗な心」
とても大事で、かけがえのないものですが、それだけで この厳しい社会でやっていけるのか。
姉の勝手な過剰な心配かもしれません。
でも私自身、沖縄から出てきて、短期間ではありますが働いて、沖縄との違いが どれだけのものか、身を持って感じたつもりです。
沖縄で新生活を始めるのであれば、たとえ急な一人暮らしでも、親が見に行くこともできるし、周りも助けてくれる他人は居るでしょう。
これから住む場所は愛知。
企業や経済が発展している町。
沖縄とは、環境が違いすぎませんか?
いま私が、あーだ、こうだ、言っても、もう決まったことです。
それは分かっています。
そして、そうしなくては生きていけないことも。
「働かざる者、食うべからず」
ですからね。
ただ、今回のことで、沖縄の子たちの厳しい現状を目の当たりにして、いろいろと考えさせられました。
正直、一番最初に思い付くのは、
「ナイチャー(本土の人間)さえ居なければ…」。
これは おばーの影響でしょうね。
経済が観光に頼っていることも、島ぁーの人間よりナイチャーの方が 沖縄を愛してたりすることも分かっています。
ナイチャーだって、アメリカーだって、悪い人ばかりではありません。
むしろ良い人の方が沢山居るし、私は愛する沖縄を捨てて ナイチャーになった人間です。
ただ、毎年1割近く人口が増え、そのほとんどが本土からの移住者です。
沖縄を愛してくれるのは、出身者として とても嬉しいことです。
しかし その中の何人が本当に うちなーんちゅ(沖縄人)になろうと考えてるのでしょう。
好きなだけで、沖縄を自分のことのように考える人は何人いるのでしょう。
あなたの沖縄は、毎年たくさんの若者を転出させ、残った人も破格の給料で かろうじて生活をしています。
隣の町や家では、勝手に戦争で使えるものが広げられています。
それが、あなたの家族や家や土地で起こっているんですよ?
あなたは、どこの人間ですか?
うちなーんちゅは、ぬーそーが。
いったーが、ゆっくい そーんちに、ナイチャーたーは ばんない入ってきて、兄せーたーは 内地んかい んじらんとぅ、仕事やねーなぃんど?
あんしぇ、兄せーたー 勉強さしらんな?
アメリカーたーは基地広げて、ナイチャーぬ役人たーは銭ぶけー考えて、たーが くり止みーしが?
おじー、おばーぶけーな?
むる死んだら、ちゃーすが。
兄せーたーは、うらんど?
ちゃー、「ナイチャーたーは…。ナイチャーたーが…。」あびーあびーだけか?
沖縄出身として、ナイチャーとして、親として、いろんな方向から見て、私が考えることを、想いながら 実践しながら、子育てに交えて生きていきたいと思います。
2008年03月03日
なんたることか。
あまりにものことに、思わず笑ってしまった。「ばっかじゃないの」
いろんな意味で、そう呟きが出た。
ほんと、バっカじゃないの。
※汚い言葉ですみません。
※写真は今朝の朝日新聞29面より
2008年02月29日
よしよし。
上手く(美味く?)いった。昨日、実家から肉やら そばやら送られてきて、さっそく炊きました。
肉は三枚肉です。
やっぱり実家で食べてた味になるもんですね。
上手く炊けました。
私は そのまま肉だけ おかずで食べます。
主人は沖縄そばに乗っけて食べます。
主人は、沖縄の味…というか うちの実家の味が合うらしく、なかなか厳しいのですが、今回のは好評でした!
写真の奥は、「あんだんすー(油味噌)」です。
豚肉や生姜が入った沖縄の味噌ですね。
この味噌で、ご飯を3杯は楽にイケます。
いや、我慢しますけどね。
美味いんですよ〜。
こうやって、たまに沖縄風が吹く我が家です。

